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おちょやんから女優の道へ | 富田林市の豪商への奉公が転機に!

「おちょやん」から女優の道へ

前回までは「おちょやん」のモデルである浪花千栄子さんが道頓堀にある仕出し料理屋にわすか9歳で奉公にだされ重労働の中、漢字の勉強を必死にしたり、芝居の役者さんに詳しくなり、今後の女優人生に大きく影響したことを紹介しました。また、「おちょやん」の意味も説明しています。

 成長した千栄子さん「おちょやん」卒業!

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仕出し料理屋で働いて8年の年月が経ち、千栄子さんは17歳。

同じ年代で同業者に雇われている女中たちは、これぐらいの年代になると床屋さんで髪を綺麗に結ってもらい、着物だって新調もらったりしています。

しかし、千栄子さんは違いました。

こんなに長く奉公していて、自分だって他の女中たちと同じ位ことはしてもらっていいはず。。。

主人に直談判してみるも、

「アホなこと言うな、色気づきよってからに!」

と・・・。聞き入ってくれない。

大阪の商人はみな倹約に熱心ですが、千栄子さんの主人は異常はなほどで、8年間も千栄子さんは無給で重労働を強いられていたのです。

仕事を覚えるまでは無給であることは珍しくない時代、それでも千栄子さんのケースは稀。

もう幼い頃の千栄子さんとは違います。漢字の読み書きもできるようになり、女中の仕事であれば、他の女中以上にできる自信があります。

「そろそろ、ここに見切りをつけなれば」

そう思うようになったのは、千栄子さんにも自信がついた証です。

 道頓堀に千栄子さんのお父さん登場

出典:www.nhk.or.jp

ちょうどその時、8年間も音信不通だった千栄子さんのお父さんが現れます。

久々に会った親子。

千栄子さんが9歳の頃に継母に言われるがまま、奉公に出したのですから、「すまなかった」の一言くらいは欲しかったはず。

しかし、お父さんが言い放った言葉は

「そろそろ、金貯まってんやろ。」

と、いきなりお金を無心してくる薄情なお父さん、、、

当時は子は親に逆らってはいけない、どんなに理不尽な事でも親には従う事が普通だった時代。

しかし、幸いというか不幸というか、千栄子さんはこれまで無給で仕事をしていたので、お金なんてもっていません。

「8年間もタダ働きって、ひどいやおまへんか?」

「使い物にならない娘を一人前に仕事できるようにして、その上、寝床と飯も食わせたんや。感謝せなあかんで。」

お父さんと仕出し料理屋の主人の対決。

薄情でお金に汚いのはどちらも相当なものです、、、。

最終的には仕出し料理屋の主人が根負けし15円の退職金を支払う事に。もちろん、受け取り人はお父さんで千栄子さんには一銭もありません。

その後、いったん千栄子さんはお父さんと故郷である富田林市に帰ることになります。

 お父さんの言われるがままに

もう、実家には千栄子さんとソリが合わなかった継母の姿はありません。

しかし、実家でゆっくりする間もなく、すぐに近隣の居酒屋に奉公にだされてしまいます。

そこの居酒屋は実家から徒歩圏内。給料日が近くなるとお父さんが来て前借してしまう。それどころか、賃上げの要求までする始末。

それが原因で、3ヶ月でクビ。

次の奉公先は富田林市にある、豪商のお屋敷です。実はこの奉公先が千栄子さんとお父さんと距離をおくキッカケとなり、そして女優の道に進む転機になるのです。

 「ここの奥さんは優しくて物分かりがええんや」

お父さんは、ここの奥さんをべた褒め。お父さんはまた給料を前借したのか、千栄子さんをお屋敷に送って、挨拶をしてからは姿を現しません。

しかし、お父さんの言葉に嘘はなかったのでしす。

奥さんはとても優しく、千栄子さんにも気遣いをしてくれる。

ひと仕事終われば、お茶を飲んでくつろぐ時間がある。

仕出し料理屋の奉公時代は、重労働の中で便所で必死に漢字の勉強をしたほどの千栄子さん、いまの生活はぜいたく過ぎる時間の使い方と感じたことでしょう。

時間があると、いろいろな事を考えます。過去の自分、そして将来の自分についても。

誰かに命令されて働き1日が終わる。生きるために必要な着物、寝床、食事は与えられる、これはこれで問題はないはず。

しかし、人に従って生きているだけでは、人並みの生活はできない。変えなければ。

そのためには、過去を捨て、関係と断ち切らなければいけない人もいる。

千栄子さんはそう思うようになります。

 お父さんとの縁を切らないと。

 豪商の奥さんは年が明けたらよい縁談を、と考えていたようで茶道や礼儀の所作など嫁入りに必要な様々なことを千栄子さんに教えてくれました。

この時代の女性は良縁と未来の旦那さんに人生をゆだねる。

そう多くの女性が考えていましたが、幼いころからの封印をとかれたような千栄子さんには、そのような考えはありません。

たとえ、良縁があったとしても、お父さんとの関係を切らなければ、、、

そうしないと、今度は嫁ぎ先にお金をたかりにきそうだし、そうなると家計は苦しくなるし、夫との関係も悪くなるに違いない。

 千栄子さんは2年季で奉公にだされていました。その2年分のお給金はお父さんが前借していたのです。

千栄子さんはそれを知らずに、奉公にきて半年が経ったときに奥さんにそれとなく聞くと

「あんた、知らんかったんか・・・」

と、奥さんは絶句。しかし、もう後の祭り。

奥さんの気前の良さが仇となってしまったのです。お父さんのお金に対する意地汚さは千栄子さんもよーく知っていたはずなのに、2年分ものお給金を奪われるなんて、、、。

 

 千栄子さんは数えでもうすぐ20歳。

もうすぐ、この豪商の家の奉公の年季も終わります。

ここに奉公にあずけてから一度もお父さんは顔を出していません。実家からは徒歩で30分ほどです。薄情なお父さん。

しかし、そろそろお父さんは必ずやってくる。奉公を継続してまた数年分のお給金を前借するか、また別の場所へ奉公にだされる。

どちらにしても千栄子さんにとって良い結果になるとは考えられない。

 千栄子さん、自分の意思で!

年季が明ける前の月に奥さんは千栄子さんと呼んだ。

「これまで、ようやってくれたなぁ。」

「少しだけど、、、」

と5円を包んで千栄子さんに渡す。

「本当はこのまま、奉公を続けてもらいながら、いい縁談を探してあげたい。」

「でもなぁ・・・」

奥さんはその先は言いづらそうであったが、すぐに千栄子さんは察しました。

親権が強いこの時代。いくら奥さんであっても、お父さんが強権発動すれば、どうすることもできません。

「あんたも、自分を大切にせなぁ、あかんよ。」

お父さんとの縁を切って逃亡。そのための資金として5円の餞別をくれたんだと勘のいい千栄子さんは悟ります。

千栄子さんは自室に戻りすぐに荷造りを開始。

 

人々がまだ深い眠りの中にいる夜明け前。

千栄子さんは奥さん宛てに書いた手紙をおいて、裏口からひっそりとお屋敷を出て、駅を目指しました。

だれにも会うことなく、駅に到着。そして、夜明けに大阪行きの始発列車に乗って出発。

列車の窓から見るこの景色は千栄子さんにとって、三回目だったのでしょうか。

一回目は9歳の時に道頓堀に女中奉公にだされたとき。

二回目は17歳に奉公先からお父さんに連れて帰られたとき。

そして、今回。

今回、前の二回と明らかに違うのは千栄子さんが自分の意思で行動しているというこです。窓から眺める景色は過去二回とは明らかに違って見えたでしょうね。

日が昇ってすっかり明るくなった時には大阪に到着。

この時点では行先は決まっていなかったですが、大阪はお父さんが追いかけてくるかもしれない。そんな予感が千栄子さんにはありました。

千栄子さんのお父さんは大阪の土地勘がありましたからね。

そこで行き先に決めたのが、京都です。

大阪と京都は日帰りが行ける距離ですが、この頃は大阪と京都では言葉や風習の違いが大きく、庶民が気軽に大阪⇔京都を行き来することはありませんでした。

とうぜん、千栄子さんのお父さんも京都は土地勘がありません。

列車代も安く済むし、お父さんから逃げたい千栄子さんにとっては京都はぜっこうな土地だったはずです。

京都でも試練!?

京都には旅館や飲食店が多く、口入れ屋(現代でいう民間の職業あっせん企業)も数件ありました。

そこで、千栄子さんはお屋敷で住込みの女中の仕事を希望します。富田林市のお屋敷での女中仕事がそれほどよかったんでしょうね。

しかし、千栄子さんが希望する仕事はありません。その代わり紹介されたのがカフェーの女給です。

カフェーの女給とは、いまでいうホステス。

当時ですから、このような女給の仕事に抵抗をもたなかったはずはありません。

千栄子さんの所持金ではすぐにでも住込みで働けるところを見つけないと、、、野宿かカフェーの女給か・・・。

 

口入れ屋で紹介されたカフェーは京都南部の深草というところです。

伏見方面の列車に乗ると五重の塔が見えたはずですが、千栄子さんにはそれを楽しむ余裕なんてなかったと思います。

むしろ、清水の舞台から飛び降りる心境だったのでないでしょうか・・・。

 

 

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