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朝ドラ【おちょやん】の意味とは?モデル浪花千栄子さんのツールにあり!

【おちょやん】とは

前回は朝ドラ「おちょやん」のモデル浪花千栄子(なにわ・ちえこ)さんの幼少期~小学校低学年(正確にはあまり小学校に行けませんでした)を紹介しました。

なんと9歳で奉公に出され、その続きです。

前回の記事はコチラ↓

このページでは、朝ドラ「おちゃやん」の意味を浪花千栄子さんの女優としてのツールとなった時代を解説しながら紹介したいと思います。

「おちょやん」の意味とは?

大正5年道頓堀の様子

大正5年、大阪の道頓堀の南側には有名な劇場や少しわき道に入れば、小さな寄席が数多。

当時の歌舞伎や芝居は長丁場で間に休憩時間があり、客は芝居茶屋に移動してお酒を飲みながらゆっくり食事をするのが定番。

そのため、堀の対岸(北側)には芝居茶屋が沢山ありました。

茶屋で提供される料理は付近の仕出し料理屋が作って配達までしていたのです。

そこで千栄子さんは女中として働いていました。

前掛けに筒袖が女中の定番スタイルで、料理を茶屋に忙しそうに運ぶ娘たち。

このような若い女中を昔の大阪弁で「おちょやん」

そうです、朝ドラ「おちょやん」はここからきているのです!

その中でも千栄子さんは特に幼い「おちょやん」だったことでしょう。

そして、おちょやんのモデル浪花千栄子さんの女優としてのツールもここにあるのです!

女優・浪花千栄子さんのツール

寄席の様子

当時の日本は第一次世界大戦により好景気でした。劇場や歌舞伎、芝居は常に満員御礼状態で、芝居茶屋でお客さんが注文する料理も豪勢に、品数も増すばかり。

当然、それを運ぶ女中たちも大変だったはず。

仕出し料理屋がいくら儲かっても、女中たちには見返りは無く、ただただキツくなるだけ。

少しでもお給金を貰える女中はまだましで、幼い千栄子さんはお小遣い程度のお金さえもらえていなかったそうです。

9歳の幼い子を雇うのは当時でも違法。そんなリスクを冒しているのだから、

「食事と寝る場所を与えているだけで十分だろう。」

というのが主人の言い分。

何年もお給金を貰えず、コキ使われる。他の下働きの女中たちに比べても更に待遇が悪い。

その理由を千栄子さんは「小学校に行っていたこと。文字が読めないこと。」だと考えたそうです。

朝は日が昇る前から薪(まき)で大量の飯を炊き、夜遅くまで働き詰め、食事も立ったままで短時間で食べる。食事中も呼ばれれば、すぐ行かないと叱られる・・・。

千栄子さんはそんな中でも文字の勉強をします。

当時の新聞には漢字に読み仮名がふられていたため、捨てられた新聞を拾い、便所で必死で覚える。

少しの行きつく間もなく、コキ使われ千栄子さんが唯一労働から解放され、自由になれるのが便所だったのです。

千栄子さんはずば抜けて記憶力は良かったそうです。

千栄子さんが働く仕出し屋には役者や劇場関係からも注文があり、料理の配達や重箱の回収のために楽屋に出入りすることも多かったようです。

楽屋から舞台を覗き見ることが数少ない楽しみで、役者のセリフはすべて暗記。間違えに気づくほどです。

口調や動きを少し見れば、「今日は力が入っているな」とか「手を抜いているな」なんてことも分析。

ここ道頓堀で女中「おちょやん」としての経験がその後の千栄子さんのルーツになり、大きく人生に影響したことは間違いないでしょう。

 

 

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